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経営学、企業が守るもの


企業経営者や管理職、はたまた教師や政治家まで

一時「孫子の兵法」が大流行したことがある。

企業経営、会社経営、教育現場で選挙や国政に大いに

役立てたことでしょう????


中国戦国時代に「国の宝物として何を持っているか」という会話で

持っていないと答えた王に対し、別の王が誇らしげに珠玉の自慢をした。

持っていないと答えた王は、珠玉は無いが、数々の優秀な家臣たちの

話をすると、誇らしげに笑みを浮かべていた王は赤面してしまったと言う。



企業においても同じことで、企業の宝とは資産の大きさではない。

いかに優秀な人材を持っているか、また人材を育てているかであろう。

また、人材育成のための環境作りにどのように力を注いでいるかが

大切なのではないだろうか。

術に頼るわけではないが、リーダーシップセミナーやコミュニケーション術、

コーチング術、セミナーも一つの投資ではないかと思う。

企業にとって人材こそが宝であり、守らなければならないもの。


物を玩(もてあそ)べば、志を失いかねない。



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坂村真民先生に学ぶ経営学


仏教詩人坂村真民先生の詩に
--------------------------
尊いのは
頭ではなく
手ではなく
足の裏である
一生人に知られず
一生きたない処と接し
黙々として
その務めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの
しんみんよ
足の裏的な仕事をし
足の裏的な人間になれ
頭から
光が出る
まだまだだめ
額から光が出る
まだまだいかん
足の裏から
光が出る
そのような方こそ
本当に偉い人である
--------------------------
なかなか意味深い言葉である。

私など光も出ない。

頭や額から無理やり光を出している方もおられますけど

経営者は縁の下の力持ちで無ければならない。

光り輝くのは、社員や従業員であればいいのだ。

どうも光り輝いていたい経営者が多くて困る。

経営者だけにとどまらず、政治家や官僚にも

いるから始末が悪い。

日本には古来より

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが

私が私がという自己顕示欲の旺盛な輩も、少しは頭でも

垂れてくれれば、嫌な頭からの光の照射も半分で済むのに

垂れるどころか、不始末でさえ逆切れして

踏ん反り返っている始末。

経営王の松下幸之助翁が、なんとなく猫背に見えたのは

私だけでしょうか?

消費者のこと従業員のことを自分のことより先に考えていた

謙虚さがそうさせたんでしょうね。

幸之助翁の靴の中はさぞピカピカだったに違いありません。



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澤木興道師の教えを伝えてくれた教師

企業にとって、業績を上げることは
大事なことですが、
業績を上げるために何をしてもいいものではない。

企業は、社長の物でもなく、働く従業員の
物でもなく、社会の物なのです。
社会とは、企業のサービスや物品を
受ける人です。

企業は、社会に貢献することを
第一の命題にしなくてはならないのだと
私は思っている。

そんなことはわかっている。

それでは、なぜこう不祥事が起こるのでしょう。
偽装、流用・・が後を絶たない。



私の通った高校は、決して進学校では無く、
むしろ進学校の滑り止め。
そんな高校に、一人の物理の先生がいた。
1時間の授業内容が早く終わったときに
いつも話すのは **「澤木興道師」のこと。
話の内容は、哲学的で、当時の私には
難しすぎて、正直内容を覚えていない。
ただ、「澤木興道」という名前だけなぜか
頭の隅に残っていた。

いつしか当時の先生の歳になり
ある本で澤木興道師の記事を読んだ。


卒業後、大学に行く者、就職する者
職業も地位も様々。
どんな道に進んだとしても
物理が役に立っている者は少なかろう。

しかし、澤木興道師のことを覚えていて
その後の人生の糧にしたものは
少なくとも一人いる。
そしてこの記事を書いているのです。

この先生は早期に退職し、今は郊外で
農業をしている。
自然農法で。

先生の蒔いてくれた種を自分の中で大事に
育てている生徒がいることを
いつか伝えることができるだろうか。


**
澤木興道(明治13〜昭和40)
曹洞宗の僧侶。
最後の禅僧と言われた。
三重県に生まれ、多難な幼少期を経て
佛道へ。
座禅一筋の生涯を貫いた。
昭和10年、駒澤大学教授、大本山總持寺後堂。
修行僧の指導、公演などで日本各地を東奔西走。
一生涯、寺を持つことなく「宿無し興道」と
あだ名される。
86歳で遷化された。
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衣食足りて礼節を知る

人間の欲というものは、諸刃の剣。

限が無い、果てしない、留まる所を知らない
人間の“欲”

欲が無ければ、自分を大きくすることも
できませんし、会社でも成長することも
できません。

しかし、この欲が底知れぬからこそ
引き起こす事故、事件もあります。

「衣食足りて礼節を知る」
倉廩 ( そうりん ) 実ちて 則 ( すなわ ) ち
礼節を知り、
衣食足りて則ち 栄辱 ( えいじょく ) を知る。

人は、穀物がいっぱいになると、礼儀や道徳に関心を持ち、
わきまえるようになり、衣食が十分に足りて
生活が安定し、余裕が出てくると
名誉、恥辱をわきまえ、重んじるようになる。


「吾、唯、足ることを知る」
という言葉もある。

足ることを知らないのである。
欲深いのだ。
もう、十分であるのに、それ以上を望む。
貪欲に仕事をして、より良い生活を望むのが
悪いことではないが、礼節を知らぬ欲望は
概ね、社会正義を逸脱する。
それに留まらず、罪を犯してまで
穀物を蓄えようとする。

そんな風潮の輩、企業も増えていることが
悲しい。

恥を知り潔くあること。
礼節を弁えて謙虚であること。
社会正義に対して、自己犠牲を厭わぬ心構えを持つこと。
・・・・・これらを紳士の条件と言うならば、
日本には、紳士と呼べる人が少なくなりつつあると
イエローハット相談役の鍵山秀三郎氏は嘆く。


欲と同じ量の礼節を持つべきだと思う。
自分自身への欲から、他人への欲に
移行するべきなのであろう。
使い方によっては、社会を蝕む毒にもなり
他人(ひと)を幸せに導く光にもなるのです。
まさに、諸刃の剣です。

瀬戸内寂聴師は、
「盲己利他:もうこりた」と啓蒙していらっしゃる。
己のことには目を瞑り、他人の利益を
望むべし。

子供たちは、大人の紳士とは言いがたい
行動を、否応無く見せられているのです。
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よい種をまけば必ず

よい種をまけば必ず根づき、
成功の枝が伸びていくことを信じて、
われわれは働かなければならない。

人が自分自身のためにはじめたことでも、
神はそのことが他の人のためになるようにと願って、
完成させてくださる。

『自助論』の著者サムエル・スマイルズの言葉。

この言葉は、トヨタ自動車の豊田佐吉氏に
多大な影響を与えたことは、有名です。

大事なことは、種をまいただけでは、
成功の枝は伸びず、実も付けず、種もできない。
「信じて、・・働かなければならない」
のです。

豊田氏は、その教えの通り
よき種をまくことに注力し、
現在でもトヨタの社風として根付いています。

日本人は、世界でも勤勉という名誉な印象を
いただいていますが、
今これを聞いて、なんだか恥ずかしい気が
しませんか?

創業者がまいたよき種の世話もせず、
ただ「稔:みのり」だけをむさぼって
枝を伸ばすことをせず、
次の種さえまこうとしない。

その結果が、使いまわし料理店であり、
食肉偽装であり、
偽装ウナギであり、事故米ではないでしょうか。
年金も、将来北欧に負けないくらいの
福祉制度になるはずだったのに・・・。

制度としての問題はあるかも知れないが、
少なくとも、より良い日本になることを
願って作ったに違いない。
曲がってくれば、支柱も立ててやり
雑草も抜いてやり、
肥料もやらなければ、次へ
託すこともできないのです。
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憤せざれば、啓せず。問題解決の喜び

企業・会社内の仕事においても、学業においても、教えられることから

出発します。学校教育では与えられることのほうが多いですが。

いつまでも、与えられるがままに仕事をこなして行くだけでは

自分にとっても、企業にとっても進歩はありません。

どうすれば、もっと効率よく出来るか、良質なものが出来るか

より説得するにはどうすればいいのか・・など問題点、疑問点が

出てきます。

ここでその疑問に答えることは、経験者、教育者にとっては

簡単なことかもしれません。しかし、これも他人から受ける教育です。

「憤せざれば、せず」と孔子は言っています。

憤とはいきどおりです。なにくそと思う気持ちが道を開くのです。

なにも、憤るほどのことはないのですが、

自分で問題解決をしようというこみ上げる心が無ければいけません。

アドバイスは受けたとしても、自分で解決し、やり抜いた達成感と

喜びを知るでしょう。この喜びこそが、憤する原動力となり、

次なる問題点を見つける原動力となるのです。

「ひ(りっしんべんに非)せざれば、せず」
  ひ(りっしんべんに非)は、もの言いたくてもごもごしているさま
常に問題意識を持たなければ、教えを発(ひら)くことは出来ない。

「啓発」とはここから生まれたのです。



そして、他人から受け取る教育から、
自らが自らに与えた教育に変わるのです。

「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、則ち復(ふたたび)せず。」

一隅を教えて、残る三隅を自ら解決しようとしない者には、

教える必要がない。とも言っています。

もっともだと思いますし、それくらいのものを持っていなければ

成長もないでしょう。

ただ、長い与えられる教育ばかり受けてきた人に、いきなり期待するのは

無理があるかもしれません。甘い。そこまですることはない。

自主性が無い者は所詮だめだ。とおっしゃるかも知れませんが、

自ら解決した喜び、達成感を感じ取る手助け、アドバイスを

言葉少なく気長にフォローすることが、

リーダーとして求められているように思うのです。

つい、ガミガミ言ってしまいそうですが、懐の深さが

人を育てることもあります。









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三屋裕子、テンアローズ社長解任

テンアローズ創業者林宏子社長(当時)から企業イメージアップなど企業刷新を要請されて起用された三屋裕子さんら現経営陣が、定期株主総会で創業家
の林勝哉氏から「業績不振」を理由として自らの社長就任と創業家中心の新経営陣への移行を求める修正案を提出、可決された。

議決権ベースの過半数を超える株式を所有しているため、仕方がない・なすすべ無しといったところだが、ここでもまた、企業にとって大事な事がないがしろにされる経営に移行するのではないかと思ってしまう。

企業ですから、家内工業とは違います。多くの従業員、スタッフが働いているわけで、既に個人ベースの企業規模ではない。
従業員、スタッフ、地域、社会的責任など、企業として果たさなければ成らないことがある。個人の者ではないのです。企業は誰のものかといえば、株主の物というかもしれない。
しかし、本来企業とは消費者や従業員のも物という企業理念を持つべきだと思うのです。そして、そう言った理念を持ったところが優良企業として名を残していて、現在も元気な企業として社会に貢献しているのです。

企業不祥事が尽きない、つい先日もミートホープ・コムスン・・など
話題に不自由しないほどですが、共通することは、ワンマン経営者であることでしょうか。同族会社が多いのもこれによるものでしょう。
企業内でのコミュニケーションが十分に行われないからでしょう。
ワンマンならコミュニケーションどころではない。独裁者の如くです。


創業者一族による経営陣を提案、可決されたということは、誰にも文句は言わせないぞ・・こんな言葉が見え隠れするのである。

そうならないことを願って止まないが、そんな線路の上を走っている気がしてならない。

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坂村眞民先生アーカイブ

久しぶりに坂村眞民先生の声をお聴きしました。
NHKのアーカイブです。

「念ずれば、花開く」心に沁みる言葉です。
眞民先生曰く、
念ずればその通りになるということを疑わないことが花を咲かせる
言い換えれば、信じきることで花を咲かせることができる。

仏教詩人の眞民先生、その転機とは一遍上人との出会い。
「六十万人決定往生」を唱えた上人、二十五万人で道半ばした
後を引き受けるという壮大なもの。
残りの三十五万人を、私にやらせてくださいというもの。
南無阿弥陀仏もよいけれど、現代詩にして皆さんに読んでいただく
・・・・・。
仏教詩人といわれる所以。

弱っている人が読めば力が出る。喉が渇いている人が読めば喉が
潤う。世の為、人の為に何ができるか。何かを見出して後世の人に残すこと。男は何に命を懸けるかが命題である。

愛媛県松山市の道後温泉の山手に一遍上人の生誕地である
宝厳寺(ほうごんじ)がある。一遍上人と縁を結び多くの人と
縁を結び、終焉の地と定める。その縁が後の世の人と結ばれるのを
願って・・。

宝厳寺・一遍上人ゆかりのお寺 ← 写真撮影してきました

二度とない人生だから

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさぬように
こころしてゆこう
どんなにか喜ぶだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊に接してゆこう
二度とない人生だから
つゆぐさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめて
みつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日しずむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころをあらいきよめよう
二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一篇でも多く
作ってゆこう
私が死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう




折をみて、他の詩もアップします。
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平岩外四さん

東京電力元社長、会長、元経団連会長の平岩外四さんがお亡くなりになりました。
安岡正篤師の薫陶をじかに受けられ、その教えを支えに日本経済の第一線で活躍されてきました。
愛知県常滑市に生まれる。1939年(昭和14年)に東京帝国大学法学部を卒業し、東京電燈(現東京電力)に入社。1941年(昭和16年)には陸軍に召集され、ニューギニア戦線で多くの仲間を失った。終戦後、復職し、東京電力の中興の祖と言われる木川田一隆氏に徹底的に教育を受け、1976年(昭和51年)には社長に就任、1984年(昭和59年)には社長を退き会長に就任した。1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までは第7代経団連会長も務めた。

平岩さんは、林繁之さん(安岡正篤記念館名誉館長)との対談でこんなことをおっしゃっています。

東京電力の社長に就任された時に、安岡正篤先生から“清の曾國藩の
「四耐四不訣」をいただきました。
冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁がず、競わず、
随わず、もって大事を成すべし

毎朝三度口ずさみ、昼もまた口ずさみ・・・・毎日呪文のように口ずさんでいるうちに、孤独感とか、辛いとか、そういうことが自然となくなっていって、辛いのは当たり前のことだと思えるようになりました。
・・ですから私が社長業に励む上で、本当に精神と実践の拠り所になりました。

少なくとも、自分一人で出来ることもあるし、先哲の教えを学んでいく方法もあるし、いろいろな」先生方の教えを改めて受け取る・・そういう努力をして自分自身の人間性を少しでもレベルアップしていくことが、やはり人間の生きる本来の目的だと思います。生きている限り続けて行かなければいけないことだと思います。
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潟fィー・エヌ・エー,DeNA・南場智子さん

潟fィー・エヌ・エー,DeNA・南場智子さん

DeNAといえば、ネットではおなじみ、ビッダーズ、モバオク、
モバゲータウンの会社です。
遺伝子DNAとeコマースとのイメージ造語です。

NHKの「プロフェッショナル」コミュニケーション術として
南場智子さんが紹介されましたが、それをまとめて書いてみます。

@ランチは部下ととる。
 VTR中、その日は新人と入社予定の3名でのランチでしたが
 自らお茶を注ぎ、母親のようにさえ見えましたね!印象深かった
 のは、「仲間だから」と言った南場社長の言葉ですね。

A自分のことではなく、部下のことを話題に選ぶ
 部下のことを話題に選ぶ。その部下としか出来ない会話をする
 相手のことを気にかけているというメッセージを伝える。
 (プライベートの話題も)

B命じたことを記録する。
 期日の前日には、自ら連絡をとる。
 個人を認識して、認知してコミュニケーションする。

C部下の情報を更新(アップデート)する。


「個人を認めて、感謝をするというのは社風としても大事にしたいところなので・・・・」

さすがですね。こういう社長の下で働きたいですね。
部下と同じ目線になって会話をしても、本物は威厳がありますね
それが損なわれるということは無いのです。

威厳が無いから威張らなきゃいけない、偉くないから偉そうに
しなければいけない・・こんなトップが多いですから。
企業不祥事が起きるのも無理はないです。
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