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衣食足りて礼節を知る

人間の欲というものは、諸刃の剣。

限が無い、果てしない、留まる所を知らない
人間の“欲”

欲が無ければ、自分を大きくすることも
できませんし、会社でも成長することも
できません。

しかし、この欲が底知れぬからこそ
引き起こす事故、事件もあります。

「衣食足りて礼節を知る」
倉廩 ( そうりん ) 実ちて 則 ( すなわ ) ち
礼節を知り、
衣食足りて則ち 栄辱 ( えいじょく ) を知る。

人は、穀物がいっぱいになると、礼儀や道徳に関心を持ち、
わきまえるようになり、衣食が十分に足りて
生活が安定し、余裕が出てくると
名誉、恥辱をわきまえ、重んじるようになる。


「吾、唯、足ることを知る」
という言葉もある。

足ることを知らないのである。
欲深いのだ。
もう、十分であるのに、それ以上を望む。
貪欲に仕事をして、より良い生活を望むのが
悪いことではないが、礼節を知らぬ欲望は
概ね、社会正義を逸脱する。
それに留まらず、罪を犯してまで
穀物を蓄えようとする。

そんな風潮の輩、企業も増えていることが
悲しい。

恥を知り潔くあること。
礼節を弁えて謙虚であること。
社会正義に対して、自己犠牲を厭わぬ心構えを持つこと。
・・・・・これらを紳士の条件と言うならば、
日本には、紳士と呼べる人が少なくなりつつあると
イエローハット相談役の鍵山秀三郎氏は嘆く。


欲と同じ量の礼節を持つべきだと思う。
自分自身への欲から、他人への欲に
移行するべきなのであろう。
使い方によっては、社会を蝕む毒にもなり
他人(ひと)を幸せに導く光にもなるのです。
まさに、諸刃の剣です。

瀬戸内寂聴師は、
「盲己利他:もうこりた」と啓蒙していらっしゃる。
己のことには目を瞑り、他人の利益を
望むべし。

子供たちは、大人の紳士とは言いがたい
行動を、否応無く見せられているのです。
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憤せざれば、啓せず。問題解決の喜び

企業・会社内の仕事においても、学業においても、教えられることから

出発します。学校教育では与えられることのほうが多いですが。

いつまでも、与えられるがままに仕事をこなして行くだけでは

自分にとっても、企業にとっても進歩はありません。

どうすれば、もっと効率よく出来るか、良質なものが出来るか

より説得するにはどうすればいいのか・・など問題点、疑問点が

出てきます。

ここでその疑問に答えることは、経験者、教育者にとっては

簡単なことかもしれません。しかし、これも他人から受ける教育です。

「憤せざれば、せず」と孔子は言っています。

憤とはいきどおりです。なにくそと思う気持ちが道を開くのです。

なにも、憤るほどのことはないのですが、

自分で問題解決をしようというこみ上げる心が無ければいけません。

アドバイスは受けたとしても、自分で解決し、やり抜いた達成感と

喜びを知るでしょう。この喜びこそが、憤する原動力となり、

次なる問題点を見つける原動力となるのです。

「ひ(りっしんべんに非)せざれば、せず」
  ひ(りっしんべんに非)は、もの言いたくてもごもごしているさま
常に問題意識を持たなければ、教えを発(ひら)くことは出来ない。

「啓発」とはここから生まれたのです。



そして、他人から受け取る教育から、
自らが自らに与えた教育に変わるのです。

「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、則ち復(ふたたび)せず。」

一隅を教えて、残る三隅を自ら解決しようとしない者には、

教える必要がない。とも言っています。

もっともだと思いますし、それくらいのものを持っていなければ

成長もないでしょう。

ただ、長い与えられる教育ばかり受けてきた人に、いきなり期待するのは

無理があるかもしれません。甘い。そこまですることはない。

自主性が無い者は所詮だめだ。とおっしゃるかも知れませんが、

自ら解決した喜び、達成感を感じ取る手助け、アドバイスを

言葉少なく気長にフォローすることが、

リーダーとして求められているように思うのです。

つい、ガミガミ言ってしまいそうですが、懐の深さが

人を育てることもあります。









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故事・先達を引用する

会社・企業にとって大事なことは、業績が上がることです。
決してトップが自分を誇示することではありません。
責任者であるならば、その部門の業績を上げることです。

私は人を使うと言う言葉は嫌いです。出来れば人を生かす(活かす)と考えたい。

社内でのコミュニケーションは重要ですが、経営者、役員に限らず
上に立つものは、直接的に自分の意見を言わないほうがよい。
人は、それぞれに能力を持ち、経営に秀でたものが経営者となり
技術を磨いたものが、現場で働いていると思うのです。
職業・役職に貴賎は無く、人はそれほど能力差があるとは
思いません。

昨日まで席を同じくしていた者が、今日は上司になったから「自分の意見はこうだ!」と言っても、上手くいかないでしょう。

自分の意見ではあるけれども、故事の引用や先達の言葉や威厳を
用いるのです。

小泉純一郎首相(当時)は
「明治初期、厳しい貧困の中にあった長岡藩は、救援のために
届けられた米百俵を、明日の人作りのために使おう。
米百俵を将来の千俵、万俵にするため学校設立に使いました。
今の痛みに耐えて、明日を良くしようとする『米百俵の精神』こそ
改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。」
このように故事やエピソードを引用することによって、自分の
意見でありながら、それに権威をつけているのです。
国民は「なるほど!」と納得、感動すら覚えるでしょう。

こういう引用をするために故事を学び、名言を覚えるのではないのですが、効果的なのは事実です。

先人の知恵や金言・名言を学ぶことは、正しい方向へと導く
指針となり、独善的な考え・行動を正してくれます。
よく咀嚼して、自分のものとして心から発する声にしなければ
なりません。
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