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憤せざれば、啓せず。問題解決の喜び

企業・会社内の仕事においても、学業においても、教えられることから

出発します。学校教育では与えられることのほうが多いですが。

いつまでも、与えられるがままに仕事をこなして行くだけでは

自分にとっても、企業にとっても進歩はありません。

どうすれば、もっと効率よく出来るか、良質なものが出来るか

より説得するにはどうすればいいのか・・など問題点、疑問点が

出てきます。

ここでその疑問に答えることは、経験者、教育者にとっては

簡単なことかもしれません。しかし、これも他人から受ける教育です。

「憤せざれば、せず」と孔子は言っています。

憤とはいきどおりです。なにくそと思う気持ちが道を開くのです。

なにも、憤るほどのことはないのですが、

自分で問題解決をしようというこみ上げる心が無ければいけません。

アドバイスは受けたとしても、自分で解決し、やり抜いた達成感と

喜びを知るでしょう。この喜びこそが、憤する原動力となり、

次なる問題点を見つける原動力となるのです。

「ひ(りっしんべんに非)せざれば、せず」
  ひ(りっしんべんに非)は、もの言いたくてもごもごしているさま
常に問題意識を持たなければ、教えを発(ひら)くことは出来ない。

「啓発」とはここから生まれたのです。



そして、他人から受け取る教育から、
自らが自らに与えた教育に変わるのです。

「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、則ち復(ふたたび)せず。」

一隅を教えて、残る三隅を自ら解決しようとしない者には、

教える必要がない。とも言っています。

もっともだと思いますし、それくらいのものを持っていなければ

成長もないでしょう。

ただ、長い与えられる教育ばかり受けてきた人に、いきなり期待するのは

無理があるかもしれません。甘い。そこまですることはない。

自主性が無い者は所詮だめだ。とおっしゃるかも知れませんが、

自ら解決した喜び、達成感を感じ取る手助け、アドバイスを

言葉少なく気長にフォローすることが、

リーダーとして求められているように思うのです。

つい、ガミガミ言ってしまいそうですが、懐の深さが

人を育てることもあります。









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